世界音痴

発達障害(ADHDグレー)・うつ13年目。治療とか日々のよしなしごとを書いていきます。

はじめにわたしのこと。

さいころから私は「異質」だった。

生まれは地方のどがつく田舎。

生まれてから一度も県外に出たことがない人の方が多い。

そこで30数年前、当時としてはかなり近未来的で中性的な名前を付けられた。

名乗ると決まって大体の人は「変わった名前」と言った。

外で遊ぶより家で本を読んだり人形遊びをしている方が好きだった。

 

活発な子供は大体背が高く体格がよかったが私は例外だった。

背が高いのに運動はできない。

勉強もいまひとつ。

人付き合いも下手。女子特有の暗黙のルールがわからない。

そして変わった名前。

子供の世界は残酷で閉鎖的だ。

田舎となるとますます磨きがかかってくる。

 

当然いじめられた。

歩いているだけで陰口をたたかれた。

でも嫌われて悪口を言われて嫌がらせをされてそれでも媚を売って

わざわざグループに入れてもらうなんてまっぴらだった。

そこがまた気に食わなかったのかますますいじめられた。

 

後年同じクラスだった子が主に私をいじめていた人達は

背が高くて名前がかっこよかったからうらやましくていじめてたんだよ

と私に言った。

あまりにもくだらなくて呆然とした。

そんな頭の悪い動機ってあるのか?と。

 

高校に入学して1年のクラスでもなじめず一人になった私は

2年次のクラス変更希望を担任に申し込んだ。

普通は1年次に振り分けられたクラスで3年間固定なのだが

希望者は1年次のクラスからコース変更ができてクラスが変われた。

事情を知っていた担任は希望が通りやすいようアドバイスをくれて

アドバイス通りに書いた希望表のおかげでクラスを変わることができた。

 

2・3年は同じクラスだから必死に友達を作った。

スクールカーストでいえば最下層だったがどうでもよかった。

やっとグループを作れてほっとした。

私はもう「普通」だと思った。

 

だけどやっぱり私は「異質」だった。

高校入学してから地元や隣県のコミケに参加しはじめて

一気に交友関係が広がった。

隣県はいわゆる地方都市ではじめて私はタワーレコード東急ハンズに行った。

都会にしかないお店の数々。

そしてヴィレッジバンガードに出会った。

ああここだ、と思った。私が好きな世界はここにあったんだと。

インディーズヴィジュアル系を知ってライブハウスに通い始めたのも

学校の近くにロリータ系の服を扱うショップができたのも

このころだった。

 

隣県と県内他校にそれぞれ友人を持ち、

お笑い、漫画、アニメ、小説、インディーズバンドのライブ、

ロリータ、ゴシックロリータファッション等の

サブカル文化を楽しむスクールカースト最下層の地味な女子。

同じグループの友人たちはよくわからないけど楽しそうだねと

私の話すことを否定もせず受け入れてくれたのは幸いだった。

 

 

けれどカースト上位の男子には気に食わなかったらしい。

低レベルな嫌がらせを受けはじめた。

 

・教室の後ろの黒板に悪意を持って描かれた私の顔があった。

 

・自分の名前が嫌いだと友達に話していた次の日

 私の椅子にマジックででかでかと名前が書かれていた。

(懇意にしていた保健室の先生に事情を話して保健室の椅子と取り換えてもらった)

 

・授業中に小さくちぎった消しゴムを投げつけられ続けた。

 

・虫を目の前に突き出された。(全く平気なので意味はなかった)

 

・一生懸命考えて書いた卒業文集の文章を勝手に

 男が書いたような文章に書き換えられそのまま文集に載った。

(あいうえお順に掲載されてるから普通女子だとわかる。今でも許さない。)

 

・卒業後もいたずら電話を掛けられた。(正体はわかっていたので撃退した)

 

 

嫌がらせは個人的になついていた英語のおじいちゃん先生に相談して

やんわりと牽制はしてもらって少しおさまった。

 

私は「普通」じゃないのだということ

高校生にもなって頭の悪い嫌がらせを受けたことは

本当にほんとうにショックだった。

そして地元が、地元の人間が心の底から大嫌いになった。

 

東京の大学に進学したらもう二度と戻らない。

 

そう決めて地元を出て行った・・・が

在学中に盛大に精神を病んだ。

 

東京でもわたしは「異質」だった。

 

うまく友達を作れなかったし関係が続かなかった。

学校でもバイト先でもうまく人間関係を築けない。

雑談できない。居場所がない。

 

第一志望の大学に入れなかったコンプレックスに囚われ続け

スクールカウンセリングを受けたことで

それまで蓋をしてきた家族からの精神・肉体・性的虐待

高校までにいじめで受けた仕打ちに対しての

怒り悲しみ辛さの負の感情が爆発した。

 

結局は精神的にフラフラになりながらも勉強し

編入で第一志望の大学の編入前の大学と同じ系統の学部に入った。

 

ようやく憧れの大学に入ったが

3年次から入れるサークルは少なかった。

入ったとしても前期で就活のために引退しなくてはならなかった。

やっと入れた卒業までいられるサークルは居心地が悪かったが、

ほかに入れるところはなかったため所属し続けるしかなかった。

 

以前の大学のカウンセラーから紹介され通院していた病院で

過剰処方された抗うつ薬の効果と副作用と副作用を抑える薬とで

正常な判断もできなくなり何もかもにおびえて、まともに生活できなくなった。

やっとのことで大学を卒業したものの

あれほど忌み嫌っていた田舎にいやいやながら戻る羽目になった。

 

地元に戻った私は病院を転々とし、病名と薬がころころと変わった。

母が名医と聞いてかかった先生のおかげで大幅に減薬ができ

体調も少しずつもどっていった。

 

その先生から紹介された前主治医から最終的に出された診断が

 

自閉症スペクトラムADHD優勢)」と「うつ」

 

私が「異質」なことの一部は発達障害の特性だった。

不眠症からはじまった「うつ」は13年目になる。

 

まだ抗不安剤ストラテラは手放せない。

それでも「普通」に近づける方法があった。

それだけでも「異質」で傷ついた過去の私が救われるような気はする。